祈りとは誰のために捧げているのでしょうか

本日、旧暦5月29日は「プトゥキヌイッピャ」の洞窟で子宝祈願でした。

 

台風の影響で洞窟に入れるかどうか昨日まで検討していましたが、今日は雨も降ることなく道中も乾いていたので洞窟にて祈願する事が出来ました。

クバの御嶽の中腹に子宝洞窟はあります。

天孫子の三男、二女が産まれたとの伝説があり、子宝に恵れる拝所として参拝する方が後を断ちません。

サンゴを持っていき祈願します。枝分かれしたサンゴは子孫繁栄を表しています。

サンゴをお守りとして持ち帰り子宝に恵まれ無事お子さんが誕生すると、サンゴを洞窟に返しに行きます。

子宝に恵まれたお礼と産まれた子供の健康祈願として、サンゴを元の洞窟に返すのです。

 

願いを解く感謝の祈りです。

 

洞窟に向かう道中は山道なので歩きづらく、歩き慣れていないとキツイです。

久しぶりに登りましたが結構キツかったです。暑さもあり余計にキツく感じます。母が70才まで登っていたのを考えると改めて凄いなと思います。

この年でキツイと言ったら情けないといつもそう思います。

 

母が高齢のため山道を歩く事が出来ないので、娘が代わりに御嶽に行き祭祀を務めています。

歩いて行ける御嶽は今でも母が祭祀を務めていますが、危険な御嶽などは娘が代わりに祭祀を務めています。60代まではどんなにキツく危険な御嶽であろうと母は行くしかありませんでした。

母もそれが当たり前だったので、その当時母の口から一度も「御嶽に行くのは大変だ」という言葉を聞いた事がありませんでした。

 

プトゥキヌイッピャやクバの御嶽に登って初めて、こんなキツイところに母は60代までよく登る事が出来たなと感心しました。

 

 

御嶽に行くたびに以前ノロ殿内に訪れた「ツカサ(宮古のノロの呼び名)」がかけてくれた言葉を思い出します。

 

「雨の日も風の日もどんな時でも拝みに行かなければいけない。時には行きたくないと思う日もあるけど行くしかない。拝みをするというのは大変な事だけど頑張って続けなさい。神様から徳と健康を貰えるから」

 

実際に祈り女として人生を祈りに捧げてきた人の言葉は心に響きます。

神様に与えられたお役目なので自分の生活よりも祈りを優先し人生をノロとして捧げた。やり遂げた人の言葉です。

 

 

ノロのお役目はただ、ただ純粋に感謝の祈りを捧げること

琉球から続く祈りを守り続ける事です

 

 

人は何のために祈りを捧げるのでしょうか。

誰のために祈りを捧げるのでしょうか。

真の祈りとはどんな祈りなのでしょうか。

 

考えさせられます。