何故か、気になったこと

何故か急に気になった事。

例えば急に「〇〇さんに会いたいな」と誰かを思い出したり。「〇〇に行きたい」とある場所に行きたくなったり。

 

 

理由はないけど急に気になった、誰でも一度はそんな経験があると思います。

その時、気のせいだとそのまま流してしまうか。

行動に移すかで結果が違います。

 

 

 

急に誰かを思い出しその人に会ったとき、自分にとって会う必要があったのだと納得する答えが見つかります。

自分に必要だから急に会いたくなったのです。

 

 

気になる場所があり、行きたいと思った時も同じです。

その場所に足を運ぶことで、何故行きたくなったのか納得する答えが見つかります。

 

 

 

 

「何故か気になったから来ました。」と琉願の木を訪れる方がとても多いです。ずっと先まで行ったにも関わらず、引き返してきた人もいます。

 

「気になったから来ました」と話す人には「ここは拝所です」と伝えています。

 

 

そうするとほとんどの人が驚き意味があって訪れたのかもしれないと参拝した後、

「本当に来て良かった」「今、〇〇で悩んでいたので救われました」と涙しています。

 

「本当に来て良かった」と安堵している人を見るたび、神仏様に愛されているなと感じます。

 

 

 

よく神様に呼ばれたという表現をしますが、人によっていろんな受け取り方があります。

 

神様が私に「神様のために拝んでほしい」「その場所を救うために私を呼んだ」と。

神様の力になる為に呼ばれたのだと受け取っています。

 

そんな方々は「神様に呼ばれたから来た」と表現します。

ある場所や拝所に行きたいと思った時、神様を救うために呼ばれていると感じているのですね。

 

 

 

 

「神仏様に呼ばれる」というのは、神仏様が人を救うために呼ぶのだと思っています。

 

何故か気になり訪れた方々がそうで体調が思わしくなかったり悩んでいたりと、何かしら問題を抱えていました。

そんな時、気になり訪れた場所が拝所。

神仏様がその人を救うために導いたとしか考えられません。

 

心を救うため導いて下さったのです。

呼ばれたというよりも「神仏様に招かれた」ですね。

 

 

 

何かを感じとり行動に移した結果参拝に繋がったのですが、参拝できたのは神仏様のお陰だと心から感謝しています。

全てお陰様だと感謝の心を持っている人だから、神仏様に愛されるのだと納得です。

 

 

 

何故か気になるという感覚は内なる魂からの合図です。

何故か気になったことは見過ごさず気になった理由を探してみると、何かしらの発見に繋がります。

 

 

 

今日は旧暦5月1日です。

全ての人々が平穏無事であります様、ウートートー。