きっかけを掴むのは自分

自分のことを1番知っているのは自分自身であることは分かっていても、未来や抱えている問題に関しては自信が持てなくなる様です。

直感より見えない世界や誰かの言葉を信じたいのですね。

 

 

 

見えない世界に正解はありません。

正解のない答えに翻弄され振り回される人生はもったいないです。

自分の直感を信じられる確証があれば、もっともっと自分自身を信じられると思うのですが。

 

 

 

 

以前、初めてノロ殿内を参拝しお守りを購入したお客様がいました。その数日後急な病に倒れてしまったのですが、早い処置のお陰で元気に回復することが出来ました。

「神仏様やノロさん、お守りのお陰で救われました」と退院後にお礼参りに来てくれました。ノロ殿内のお陰で命が救われたと感謝していました。

今でも年に数回、欠かすことなくお礼参りに来ています。

 

 

 

危機を乗り越えられたのは日頃の行いであったり、今まで積んできた徳であったり、自分で決めたシナリオ通りだったのでしょう。

自身で掴んだ奇跡を神仏様のお陰だと心から感謝している。

感謝の思いもまた奇跡に繋がったのだと思います。

 

 

 

参拝したことも偶然のようで必然。

神仏様が見守っている事を分かりやすく伝えたのだと思います。

 

 

 

 

お守りを購入したら宝くじに当たった(わずかな額ですが)という方もいました。

それも偶然たまたまかもしれませんが、その人にとっては神仏様の存在を感じた出来事でした。

 

 

 

参拝したことで起きた奇跡、お守りを持ったことで起きた奇跡を体験したことで、より神仏様の存在を身近に感じたことでしょう。

きっかけは何であれ自身が体験した事を通して、神仏様の存在の確信に繋がったのです。

自身で掴んだ確証は誰の言葉よりも確かなものです。

 

 

 

神仏様は皆平等に神仏様と繋がれるきっかけを与え続けています。

あとは自身で掴むだけです。