大切なのは必要な教えかどうかなのでは

龍眼の木に小さな花が咲きました。

細い枝の先にある小さな花が見えますか。

元気になる様にと剪定してからとてもイキイキとたくましく成長しています。

 

 

何事も疑問を持つことで真実に近づいていきます。

「問うことが、学ぶこと」ホントその通りだと思います。

疑問に思うこと知らないことは納得する答えが見つかるまで探求する事で、真実が見えてきますし学びに繋がります。

 

 

 

見えない世界の真実は人の数だけあります。

それぞれが語る見えない世界のこと、誰もが真実だと思って語っています。

普通、真実とはひとつのはずですが人の数だけ違う真実があるのは、見えない世界を語っている人の中だけの真実だからです。

「私はこう思う」というのはその人の中だけの見えない世界。

それなので人の数だけ真実があるのですね。

 

 

霊能者さんが語っている見えない世界の話もそれぞれ言っている事は違いますが、誰もが正解でも間違いでもありません。

なぜなら「見えない世界の真実とは」の答えが出ないからです。

霊能者さん同士で見えない世界について「自分が正しい、あの人の言っていることは間違っている」と争っているのを目にします。

見えない世界の答えは出ないのだから、答えの出ないもので争うことは間違っています。

霊能者さんも人間ですから、真実を知るのはあの世に帰ってからです。

 

 

答えの出ないもので争うことは無意味です。

見えない世界の真実は誰であってもこの世にいる限り知ることはできません。

 

 

見えない世界について人ぞれぞれ辿り着いた答えがあると思います。

その答えは人それぞれ違うでしょう。

 

 

神々様が人生の答えなど教えてくれないのは、人生は自分の足で歩くことが大切だから。

いろんな経験を積むことで魂の成長に繋がる。

時には失敗したり、遠回りする事も大切な経験のひとつ。

神々様は成長しようと頑張っている人々の側に寄り添い「時には手を差し伸べ、時には手を離し」そっと見守っています。

 

 

沢山の疑問から私達が経験を通して辿り着いた答えの一部です。

その答えが見えない世界の真実かどうかは分かりませんが、私達にとって必要な教えである事は間違いありません。

 

 

大切なことは自身が辿り着いた答えが見えない世界の真実かどうかではなく、自身にとって必要な教えかどうかではないでしょうか。