怒りの感情とは

「お天道様は見ている」

 

良い行いも悪い行いも全て見ています。

罰を与える為に見ているのではなく、人の行いをただただ見つめ見守っています。

 

 

理不尽な思いをした時や大切な人が苦しめられている事を知った時、自然と怒りの感情が湧いてきます。

自分の事より大切な人が苦しめられていると怒りは何倍にも膨れ上がります。

 

 

相手に対しての怒りを抑える事が出来ず、暴言を吐きたくもなります。

そんな時、お天道様は見ているから。

神様に恥じない生き方をすると決めたからと、怒りを抑え怒ってしまった自分を責めてしまう。

人に対して怒りの感情を持ってしまった事に罪悪感を感じてしまうのです。

 

 

そんな時、教えてもらった事があります。

「怒りの感情を持っても、暴言を吐いても神様が怒ることはない」と。

どんな理由で怒っているのか暴言を吐いてしまったのか。

そこが問題であり怒るという感情は悪いことではないそうです。

 

 

怒りにもルールがあり怒りを相手にぶつけたり相手に暴言を吐いてしまったり。それは人としていけない事だと思います。

相手に向けて怒ったり暴言を吐いたりするのではなく、自分の中だけでの感情なら悪いことではないそうです。

 

 

怒りには2種類あり「悪意からの怒り」と「慈悲からの怒り」

慈悲からの怒りはあって当然だそうです。

ダライ・ラマの言葉です。

大切な人が理不尽な事に苦しめられていたら、その相手に怒りの感情を持って当然。

大切な人が道を踏み外した時、叱るのも当然です。

相手を思う為の怒りは誰でも持っている当然の感情だという事です。

 

 

 

 

不動明王様があんなに怒った顔をしているのは何故なのか。

その答えはこう書かれていました。

「そんなバカな事をしていると、お前は幸せになれないぞ」という理由だそうです。

相手を思う慈悲からの怒りですね。

 

怒りの感情は全て悪いのではなく。

慈悲からの怒りであれば人として当たり前の感情だという事です。

 

 

怒ってしまった自分に罪悪感を感じてしまった事は誰でもあると思いますが。

慈悲からの怒りであれば悪いことではないのですね。

 

自分の感情を抑え気持ちに嘘をつく必要はないのです。

大切な事は自分の行い感情を振り返り間違っていたら謝る、反省する。

素直な生き方が神様に恥じない1番の生き方なのかもしれません。