自分の足で歩くということ

疑問を持つことで真実が見えてくる。

 

自分に自信がないと相手が言うことに??と思っていても、自分が間違っているのだろうと自分の意見を飲み込み相手の言うことを受け入れてしまう。

誰でもそんな経験があると思います。

 

何故、疑問が湧いてくるのでしょう。

その疑問は、自分の中の何かが「違う」と教えている合図かもしれません。

 

 

疑問を持つことをやめた時、疑問を持っても飲み込んでしまった時。

自分の中の内なる神の声や、自分を守護して下さっている存在を無視した事になっているかもしれません。

 

 

特に見えない世界の事ではそれが当たり前になっています。

「神様がそう言っている」と言われたら心の中で??でも神様が言っているのだから聞かないとバチがあたりそうと、自分の中から湧き起こる疑問を無視し相手の言うことを受け入れます。

ほとんどの人がそうでしょう。

神様に背くなんて出来るはずがありません。

 

 

本当にそれでいいのかなと思った時。

何故、疑問が湧き起こるのかを考える事も必要なのではと思うようになりました。

 

 

「神々様に呼ばれた」という記事をアップしたら同じ様に思っていた人がいました。

神様に呼ばれる人は特別な人だ。

神様の力になる為に呼ばれていると。

 

ほとんどの人がそう思っているみたいです。

私もそう思っていました。

 

 

でも神様って何の為に人を呼ぶのだろう。

呼ばれた人はそこで何をするのだろう。

そんな疑問はいつも心にありました。でもその疑問を無視してきました。

ある日、ふと何気にその疑問をぶつけてみると、その人も同じ様に疑問に思っていました。

そこから話し合っていくとある答えに辿り着いたのです。

 

 

「神様は神の為に人を呼ぶのではなく、人々に安心してもらう為に呼んで下さっている。神の元に呼ぶことで神々様を感じさせているのだと。」

私達が導いた答えですが、それが真実だということではありません。

私達の辿り着いた答えというだけです。

違うよと思う方がいて当然です。

これも判断するのは自分自身です。

 

 

今まで疑問に思っても飲み込んでいた事が、疑問を追いかける事で見えなかった事が見えてきました。

疑問が湧き起こるというのは、内なる神や守護している存在が「違うよ」と気づかせてくれている合図ではないかと思っています。

 

 

どんなことでも自分を信じ、人の言葉に踊らされる事なく。

魂が違うよと訴えている声に耳を傾け、疑問に思った事は無視せず向き合う。

それが自分の足で歩くという事かもしれません。