夜の龍眼の木も幻想的で美しいです。
「神様に呼ばれるという事」
以前にも神様に呼ばれるってこういう事なのでは。とブログに書いた事があります。改めて「神様に呼ばれる」とはどんな事なのかを考えてみました。
「ここに呼ばれて来ました」とノロ殿内を訪れて来る方がとても多いです。
それはずっと前からなのですがある日ふと「呼ばれるとはどういう事なんだろう?」と疑問に思いました。
何故か急に拝所や御嶽に行ってみたいと思い立ち、迷いもせずに向かった経験はありませんか。
着いた瞬間から心地よく穏やかな気持ちになり心も落ち着き。
手を合わせているだけでホッとし、来て良かったと心から思う。
そんな時、神々様に呼んで頂いたのかなと感じます。
神々様が宿る場所はエネルギーが溢れています。
そのエネルギーに触れることで安堵でき、心も落ち着きます。
それは神々様のお陰だと思っています。
よく「神様に呼ばれた」という方がいます。
神々様の力になる為に呼ばれたそうです。
呼ばれた場所で神々様の為に祈る。
神々様が祈って欲しいとその人を呼んだという事です。
神々様が神の為に祈って欲しいと特定の人を呼ぶ。
私は見えない世界の事は分かりません。
もしかしたらそんな事があるのかもしれません。
私個人の考えはまた違います。
人は神々様の存在を感じることで安堵できます。
人々に神々様の存在を感じてもらい心から安心して欲しいと、神々様の元に呼んで下さっているのではないかと思っています。
何故ならノロ殿内だと知らずにふらっと訪れた人々が、参拝した事で安堵し涙する人を沢山見てきたからです。
表の道を通り過ぎたにも関わらず引き返して来た人や、バスを待ちながらもノロ殿内が気になり訪ねて来た人。
ノロ殿内が参拝所であると知らずに訪れる人が後を絶ちません。
参拝所である事を伝えると皆さん驚きます。そして迷わず「参拝させて下さい」と手を合わせています。
帰る際には「来て良かった、また来ます」「今度は家族を連れて来ます」とみんな笑顔です。
そんな人達を見ていると「神々様に呼ばれたのかも」と感じています。
神々様は人々を笑顔にする為に呼んで下さっている
それが「神々様に呼ばれる」という事だと感じています。