皆んな特別なんです。

2018.05.08

 

沖縄は今日梅雨入りしましたね。

 

梅雨入り初日は朝から雨で、肌寒く感じるほどでした。

と言っても25度でしたけどね(^^)

 

 

雨は天からの恵み。

梅雨も楽しんで過ごしたいです。

 

 

「神様が書かせているのかなと思っています」

ブログを読んだ方から度々、伝えられます。

 

自分でもそう思う事があります。

 

 

夜中に目が覚め頭の中でブログを書いている時があります。次々と文章が出てくるのです。

 

自分で意識して考えてる訳ではありません。

そんな時は朝起きても文章を覚えているので、ブログに綴っています。

 

 

神々様の伝えたい事なんでしょうね。自分で読んでも自分で書いてないと感じます。

 

 

もしかして私も、視える、聞こえる能力がある?(^^)

 

 

 

沖縄には神々様が視える、聞こえる、話せるという人がとても多いです。

 

幼い頃からそんな能力があると周りの人から「生まれ高い」とか「高生まれ」「サーダカ生まれ」だと言われます。

 

 

沖縄だけの言葉でしょうか。

高いと言うのは神様に近いという事なのかもしれません。

 

 

 

生まれ高いという言葉が生まれるほど、沖縄では視える、聞こえる人が沢山いるという事です。

 

 

生まれ高い人達を特別扱いしているのも、沖縄ならではです。

 

ほとんどの人が視える、聞こえるは特別な能力だと思っています。

 

私達もそう思っていました。

 

 

 

ある方にお会いしてはじめて視える、聞こえるは誰でも持っている能力だと知りました。

 

導かれる様にご縁した方なのですが、その人に視えている龍さんの話をしてくれたのです。

 

「凄いですね。龍さんが視えるのですね」と話すと

「何も凄くないよ。龍は誰にでも視えるよ。」と驚く返事が返ってきました。

 

 

「視える能力は特別だと思うから、自分には視えないと思っているでしょう。

自分で視えないと決めているから視えないんだよ。

視えると決めたら視えるようになるよ」と。

 

 

「誰でも視える能力を持っていると伝えているのは、視える、聞こえる人を特別扱いして欲しくないから。

 

特別扱いする事で、その人が神のようになってしまう

 

皆んなが視える様になったら特別な人がいなくなる。と言うよりひとり、ひとり全ての人が特別なんだよ。」と話していました

 

 

 

むかし、むかし神様と共に暮らしていた時代があります。

 

誰にも神々様、龍さんが視えていた時代。

 

それが当たり前の時代。

 

昔も今も変わることなどないのです。

 

 

視える、聞こえる能力は誰にでも携わっています。

今世、必要か、必要でないのか。

自分で決めているだけなんでしょうね。

 

 

大いなる存在が視えても、視えなくても感じることは出来ます。

側に感じるだけで安堵に包まれます。

 

大いなる存在を側に感じること。

それだけで十分ですね。