「祈りとは何なのか」と問われると、人の数だけ答えがあります。
それだけ祈りは奥深く、祈りを求めるのは人間の本質かもしれません。
祈りと祈願は同じ意味となっていますが、私は祈りと祈願は別だと考えています。
祈りとは神仏様、ご先祖様に感謝を捧げること。
祈願は神仏様、ご先祖様に御願い事をすること。
同じ祈りでも感謝とお願いでは違いますね。
ほとんどの人は祈願の方が多いと思います。
新年の初詣では今年一年の祈願をし、受験シーズンには合格を祈願し、就職活動では良い会社に入れるよう祈願し。
良いご縁があるよう祈願、結婚できるよう祈願。安産祈願など。
数え上げたらキリがないほど、神仏様ご先祖様に祈願しています。
一年を通して祈願している事からも分かるように、人は誰でも神仏様、ご先祖様を頼りに生きているのです。
信じ頼ってくる人々の力になる為、あの世では神仏様ご先祖様が動いています。
神仏様ご先祖様の手助けが、祈りの力となり私達に返ってきます。
神仏様ご先祖様と私達の信頼関係があってこそ、祈りの力は発揮できるのです。
祈願の表現にピッタリだと思うことわざは「人事を尽くして天命を待つ」です。
天に御願い事をするならまずは、人事を尽くすことです。
何の努力もせずにただ天にお願いだけをすると思っていた結果がでなかった時、天が叶えてくれるだろうと思っていただけに、祈願しても意味はないと祈りを否定してしまいます。
これ以上努力することがないところまでやり切ると、自然と結果は天に委ねようという気持ちになります。
天に委ねたならどんな結果であれ、自分にベストな結果であったと受け入れる事が出来ます。
天の結果に納得しているので、真の祈りの力を知るのです。
「人事を尽くして天命を待つ」
天が望む祈願です。
天はベストな結果をもたらせてくれるだけでなく、努力の途中で天からの手助けだとハッキリと分かる出来事が起こります。
その手助けをお陰様だと気づく事が出来たなら、ベストな結果に導かれます。
天が差し伸べる手に気づき掴むことです。