6月23日「慰霊の日」を迎えました。
沖縄戦で戦闘が終わったとされる日から76年が経ちました。
慰霊の日は役所や学校も休みとなり、各地で追悼式が行われています。
悲惨な戦争の体験は当時小学生だった両親の記憶の中に、いまだに鮮明に残っています。どんなに時が経っても忘れる事などないのでしょう。
小学生でこんなにも恐ろしい体験をしたのかと思うと、胸が締め付けられます。
沖縄の新聞に記載されていた記事。
全国の2000人に行った「慰霊の日を知ってますか」というアンケートの結果、
75・5%にあたる1509人が慰霊の日を知らなかったと回答。
知っていたのは24・6%の491人だったそうです。
沖縄県民のほとんどが慰霊の日を知っているので、全国では知らない人の方が圧倒的に多いことに驚きました。
戦争を体験した方もご高齢となり、生の声を聞く機会も減っています。
悲惨な戦争を2度と起こさないためにも、次世代に語り継いでいくことが大事だと思います。
歴史の中で終わらせてはいけない大事な事は沢山あります。
琉球國にとって欠かせない存在であったノロも、歴史に埋もれさせたくないとの思いが発信を続けてきた理由です。
一部ではノロ本来の姿ではなく、違った形で伝わっている様です。
ノロは視える聞こえる霊能者で、個人の相談に乗っている人だと思っています。
実際にノロ殿内に判断して欲しいと訪ねて来た人がいました。
やはりノロとユタの混同はなくなりません。
ノロとは琉球國に任命された女性司祭。
琉球國時代は国の為に祭祀を務めてきましたが、現在は主に地域の祭祀を務めています。今帰仁ノロは城ノロなので、地域の祭祀と今帰仁城跡の祭祀を務めます。
ノロとは管轄の地域の祭祀を務めることが役目で、それ以外はノロの役目ではありません。
血筋継承でノロを受け継ぎますが、たとえノロ殿内に生まれた血筋であってもノロを受け継がないとノロではありません。
私達はノロ殿内に生まれ現在もノロ殿内を守り続けていますが、ノロではありません。
ノロを継承してはじめてノロとなります。
沖縄ではほとんどのノロが途絶えてしまい、これからノロが誕生することは難しいでしょう。ノロ制度は廃止になったのでノロが誕生するというより、私達の様にノロ殿内を守り続けるという形になっていくのではと思います。
ノロとはどういった存在かを歴史で語られてきた事実通りに、伝えていきたいと思います。