事実は小説よりも奇なり

「事実は小説よりも奇なり」

現実の世界で起こる出来事は空想によって書かれた小説よりもかえって不思議であるということわざ。

まさしくその通りだと、ここ数年の体験を通して感じています。

 

 

 

見えない世界について探求していく中で、沢山の不思議話や神仏様の事について話を聞いたり本で学んだりしました。

見えない世界は知らない事ばかりで驚きの連続でしたが実際に体験した事の方が「事実は小説よりも奇なり」でした。

 

 

 

現実に起きた事は小説以上にインパクトを感じる。

予想も出来ない事が起こるのは作り話よりもむしろ現実。

確かにその通りです。

 

 

 

1番の衝撃の出来事が龍眼の木から煙が出たことです。

木から煙が出るという事は科学では証明出来ません。科学で証明出来ない事が実際に起こったのです。

気の根っこから白い柔らかい煙がほわほわと10分ほど出ていました。

 

 

余りにも現実離れした出来事が目の前で起こると、人間って何も出来ないものですね。

その場には数名の人がいましたが、誰一人として写真や動画を撮らなかったのです。

今となっては何で動画を撮らなかったんだろうと悔やまれますが、木から煙が出るという有り得ない現象を目の当たりにすると呆然と見つめることしか出来ませんでした。

 

 

我に帰り動画を回したらほんの2秒だけ、煙を撮ることが出来ました。

龍眼の木に宿る白龍神様が存在を確信させる為に見せてくれた煙だと思っています。

あれから何度も龍眼の木の前で煙が出ないかと見ていますが、残念ながらあの日以来1度も煙が出ることはありません。

 

 

どんな空想や作り話よりも不思議な真実です。

 

 

 

40数年前勾玉が盗難にあい、1年半もの年月を経て無事に返ってきたこと。

「盗まれた勾玉」として新聞に投稿された記事の中で印象に残っている言葉があります。

 

「今までは霊とか神様とか目に見えない物については半信半疑でしたが、目に見えない力があるものだと信ずるようになった」

勾玉盗難の話を聞いて目に見えない力を信じるようになったのですね。

 

 

 

これも事実は小説よりも奇なりです。

「勾玉が数人の手に渡ってきたが全員が原因不明の発熱に冒された。私も同じで病院に行っても治らないので現物はお返しします。」

この勾玉には何かあると最後に勾玉を手にした方が調べた結果、沖縄で盗難届けが出されていた事を知り、持ち主に返した方が良いと沖縄県文化財担当課に返してくれたのです。

 

 

盗難から1年半もの年月が経っています。

普通なら返ってくる可能性はゼロです。

それが盗まれた当時のままの姿で無事返ってきたのです。

まさに奇跡です。

 

 

人は奇跡を目の当たりにすると、大いなる何かの力を信じざるを得なくなります。

自分の目で確かめてはじめて、真の見えない世界を確信出来るのです。

 

 

自身で体験した事や感じた事、そこに真実があります。

見えない世界の真実は自分の目で確かめる事が1番です。