祈りを捧げる場所

誰でも一度は叶えて欲しい事、助けて欲しい事、力になって欲しい事など神々様を頼り参拝した事があると思います。

自分の力ではどうしようもない事に直面すると、神々様に助けを求めたいと願うのは当然の事です。

 

 

 

参拝とは「神社仏閣に行って神仏様に手を合わせ、頭を下げ祈ること」とあります。

神社仏閣は祈願する場所ではないと言われていますが、参拝が「頭を下げ祈ること」ならば

「願いごと(祈願)」と「祈ること」は違うという事に繋がります。

 

 

 

前回の記事にリンクしていますが。

「祈願」と「祈り」は別として考えられている事になります。

祈願とは「ある事の成就を願う事」

祈りとは「本来の意味する「意宣る」で、神々様に誓いを立てる事」

神社仏閣では神々様に誓いを立てる事が本来の祈りだという事ですね。

 

 

 

琉球の祈りは「タティウガン」と「フトゥチウガン」でセットになります。

願いを立てるとは祈願する事です。

ノロの祈願は個人の祈願ではなく民の為の祈願、生きていく為に必要な願いを立てています。

 

 

願いを立てる「タティウガン」はノロ殿内から今帰仁城址に向かい祈願し、願いを解く「フトゥチウガン」は今帰仁城内にある拝所に出向き神々様の前で感謝の祈りを捧げています。

母に聞くと「拝所では神様にありがとうを伝えるだけで、拝所で祈願する事はない」と話しています。

ノロの祭祀では神々様の前で感謝だけを伝えています。

神々様の前では祈願ではなく祈りをというのは神社仏閣であれ参拝所や御嶽、拝所であれ同じなのですね。

琉球の祈りは祈願した後に感謝を伝える事を大切にしています。

 

 

 

神社仏閣、参拝所、拝所や御嶽が祈願する場所でないなら「祈願はどこでするの」と思ってしまいますね。

祈願がダメだと言っているのではなく「どの様に祈願すればいいのか」を伝えているのだと思います。

祈願したいことをどう宣言したら神々様のお力添えを頂けるのかですね。

 

 

神々様の望む「意宣り」とは。

長くなりましたので続きは別記事でアップしますね。