数日前、駐車しようとバックしたらポールにぶつけてしまいました。
ポールが全く目に入っていなかった私の不注意でした。
ランプカバーが少し欠けただけでポールには問題なかったのでホッとしました。
車をぶつけるなんて何十年振り?
ぶつけた瞬間は何が起こった?と驚きましたが落ち着いてくると「何でもっと慎重に運転しなかったんだー」って後悔しました。
何十年も運転しているので油断していたのですね。
これは「気をつけなさい」ってメッセージだと感じました。
ぶつけてしまった事を数人に話したのですが、面白い事に人それぞれ受め止め方が違いました。
「当たったという事は宝くじが当たるんだよ、宝くじ買って」と言う人もいれば
「何かに引っ張られたんじゃない?そんな気がする」
「何かの念じゃない?」と言う人もいました。
事実を数人に話しただけで、人それぞれの意味付けがありました。
もし、私が見えない世界にぶつけた理由を求めたら、いろんな意味を伝えられたでしょう。
そして不安になったでしょうね。
実際に「車をぶつけた」という事実があるだけで。
起きた出来事に意味なんてありません。
意味を求める人がいるだけです。
意味を求める事が悪いというわけではありません。
私は気をつけなさいの意味だと受け取り、それからはとても慎重に運転しています。
大切なのは意味付けをして良いのは自分だけだという事です。
自分に起こった出来事を「何故?」と考えていいのは自分だけ。人に答えを求めてはいけません。
何故なら、人の数だけ答えがあるから。
誰の答えが正解かなんて誰にも分かりません。
答えは自分で探すものです。
宝くじや引っ張られたなどいろんな意味付けがありましたが、私がとっさに感じたのは
「気をつけなさい」だったのでそれが正解だと思っています。
本当は正解も不正解もないのですが。
起こった出来事をどう受け取り、どう受け止め、どう人生に活かしていくのか。
それが本当の意味だと思います。