東村ではつつじ祭りが開催されています。
公園のつつじです。綺麗ですね。
「常に真実を語ることが道徳的な義務なのか。真実を口にしない、隠す、嘘を言うことが道徳的に正当化される時もあるのか」という命題が出されていました。
嘘をつく事は道徳に反しているが、ついて良い嘘もあるのかと。
興味深い命題だなと思いました。
家でも学校でも嘘をついてはいけないと教えられてきました。
もちろん真実を語ることが道徳的です。
嘘をついて良い時もあるのかと問われたら、私はあると答えます。
愛ある嘘が必要な時もあると思うからです。
相手を思い、相手のためになる嘘ならそれは真実以上の意味があると思っています。
「嘘も方便」ということわざがあります。
「嘘をつくことは悪いことではあるが、時と場合によっては嘘が必要な時もある」という事
嘘は悪いことだけど相手を思う気持ちから嘘をつく。
嘘をつく事に罪悪感が生じても相手を思う気持ちの方が強く、罪悪感を受け入れて嘘をつく。
愛がなければ出来ません。
時には必要な嘘もあるということです。
面白い助言がありました。
嘘をつく行為そのものよりも、嘘をつく人の「徳」に注目する。
嘘をつく行為が道徳的に正しいかどうかより、その様な行為を選んだ理由が大切。
自分の利益の為の嘘か、相手の利益の為の嘘か。
自分の利益の為の嘘なら道徳に反しているが、相手の利益の為の嘘なら道徳に従った事になるそう。
嘘も方便のことわざからも分かりますね。
相手を思う嘘は思いやりであり悪いことではないのです。
嘘にもいろいろあります。
嘘をつきたくて嘘をついている人はいないはず。
何かのきっかけで嘘をついてしまった。一度嘘をつくとその嘘を隠す為にまた嘘をつかなければいけなくなり。
嘘に嘘を重ねてしまう。
そのうち嘘をつく事に抵抗がなくなり、本人の中では嘘が嘘で無くなるのです。
嘘は道徳に反するものです。
愛ある嘘以外、真実の中で生きていきたいものです。