今日は高校の卒業式でしたね。
卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。
親御さんも子育てが一段落つきましたね。
お疲れ様でした。
それぞれの夢に向かって進む子供達。
成長の喜び半分、手が離れてしまう寂しさ半分ですね。
これから親として出来ることは、陰ながら身守る事ですね。
70過ぎの父親を祖母が色々と気にかけているのを見ていた時、「一体いくつの子供よ」とその当時は思っていましたが。
子供が成人を過ぎても何かと気にかかるので、親にとって子供はいくつになっても子供なんだなと思います。
それだけかけがえのない存在なのです。
2、3日前に掃除をしていたら七五三のお守りが出てきてビックリ。
とうに七五三は過ぎていますが、お守りを返すのを忘れていたのです。
健康で元気に過ごせているのは神々様のお陰様。
七五三の時に「見守って下さい」とお願いしお守りを購入したはずなのにお礼参りをしていなかった事に気付き、今日お礼参りに行って来ました。
お守りをお返しし「元気に成長し日々楽しく過ごせているのは神々様のお陰です。ありがとうございます」と感謝の言葉を伝えました。
守護して欲しい時や、力になって欲しい時、願い事がある時など神々様にお願いします。
大いなる存在に祈る事で安堵が得られます。
神々様のお陰で願いや思いが叶ったり、神々様に祈る事でホッとし前進する事が出来たり。
それなのに喜びの方がいっぱいで、祈願したことを忘れてしまうのです。
それはそれで神々様が怒るということはありませんが。
祈願したというのはお願いをしたという事です。
人にお願い事をして「ありがとう」とお礼を言わない人はいません。
神々様にお願いをしても同じ事ですね。
お願い事(祈願)をしたならお礼を伝えるのは当然です。
神々様へのお礼は今いる場所から手を合わせる事でいつでも出来ます。
祈願した場所に足を運んでお礼を伝えるのも良いですし、今いる場所から手を合わせるだけでも十分です。
祈りはどこからでも届きます。
「ありがとうございます」の真心が神々様の喜びに繋がるのだと思います。
琉球の祈りが感謝の祈り(願いを解く祈り)を重んじているのは、神々様はお願い事を聞いて下さり見守ってくれる存在だと信じていたからでしょう。
だからこそ「ありがとう」の感謝を忘れる事はなかったのです。
今日は感謝を伝える事が出来ホッとしたのと、神々様のご加護を改めて感じました。