形よりも真心です

文章で思いを伝えるのは難しいですね。

 

読む人によって解釈が違うので、伝えたい事とは正反対の事が伝わっていたり。

読む人の感情が入るとまた違う受け取り方になったりと。

言葉で伝える難しさを感じています。

 

 

お供え物について私の説明不足で思いとは違った受け取り方をした方がいました。

十六日祭のお供え物で重箱の事を書いたのですが、お供え物は重箱でなくてはいけないと受け取れた様です。

 

 

お供え物は昔からの習わしがあります。

重箱であったり、お餅であったり、果物であったり。

重箱の中身や、お餅、果物の数など、いろんな決まりがあります。

 

習わし通りにお供えする人が多いのは当然です。

でも必ずその習わし通りのお供え物でなければいけないのかというと、そうではありません。

 

 

例えば、お餅は食べないけど習わしだからとお供えする。

お供えした後のお餅をどうしたら良いのかと悩むくらいなら、違うものをお供えした方が良いと思います。

 

 

お供え物は神々様、ご先祖様にお供えした後、お下がりを頂くことに意味があります。

「ウサンデーサビラー」という綺麗な沖縄の方言があります。

「お下がりを頂きます」という意味で、お下がりには神々様、ご先祖様のご加護があると言われています。

食べれない物をお供えするくらいなら、美味しく頂ける物をお供えした方が良いのが分かりますね。

 

 

ご先祖様の好きだった物をお供えしている人がいます。

ご先祖様を想っているのが伝わってきますね。

 

 

お供え物も真心です。

お供え物の中身より神々様、ご先祖様を想いお供えする事に意味があるのです。

 

 

やり方を間違ってしまったり習わし通りに出来なかった時など、バチが当たるのではと恐れてしまう。

見えない世界の事なので余計に不安な気持ちになってしまう様です。

 

 

神事や先祖事など全て真心です。

形よりも神々様やご先祖様を想う気持ちの方が大切です。