琉球新報に「「祝女」の母、記憶に」のタイトルで那覇、末吉のノロ殿内の記事が掲載されていました。
末吉公園の敷地内に「ノロ殿内」跡が発掘され、最後の末吉ノロの娘さんがインタビューに答えていました。
ノロ殿内とはノロが住んでいる屋敷です。
娘さんも18歳までノロ殿内に住んでいたそうで、その当時の事を語っていました。
「たくさんの神様を祀っていたから家には頻繁に人が拝みに来ていた。祖母も地域の行事があれば白装束を着て祈りを捧げた。昔はみんな信仰熱心であったよ」
沖縄戦を前に母親と大阪に疎開し、終戦後沖縄に戻った母親がノロを継いだのだそう。
ノロの風習、文化は次第に気薄になり母親が90歳までノロの活動を続けたが、90年に引退。末吉ノロの歴史が幕を閉じた。
ノロは世襲制で代々家系で受け継がれるが、末吉ノロは母親のカメさんの代で途絶えたそう。
末吉公園の整備に伴い発掘調査をする中で、ノロ殿内跡が見つかったそうです。
「ノロは琉球王朝時代から続く沖縄の大切な信仰文化。時代が変わっても先人が守り続けた沖縄の信仰文化を未来に繋げていきたい」
娘さんはそう語っていました。
末吉公園の中に琉球八社の一つである「末吉宮」があります。
末吉宮を囲む様に沢山の御嶽があります。
神社と御嶽が同じ場所にあります。
天界寺の前住職である鶴翁和尚の夢に人が現れ
「師よ、志を遂げたいと欲するなら、是より北山に向かって大きな声で呼びなさい。応ずる所に霊験があるだろう。そこが即ち居所である。私は熊野権現である」
夢のお告げにより首里城から北である末吉町に「末吉宮」が建てられました。
御嶽は神が存在する、あるいは来訪するとされる神聖な場。
末吉公園内にノロの祭祀場があり、そこが夢のお告げの場所だったのです。
建設の際、琉球の信仰である御嶽を残したそうです。
末吉公園内にノロ殿内が見つかったというのは、末吉公園内の御嶽や拝所を末吉ノロが守っていたという事。
末吉ノロの祈りの場であったのです。
琉球王国時代は各地域にノロが任命されており、管轄の御嶽や拝所を守っていました。
管轄外に足を踏み入れる事などなく、管轄の御嶽や拝所を代々、世襲制で守り続けたのがノロでした。
「歴史を物語る殿内跡を文化財として保存するか、復元して歴史教育に役立てて欲しい。」
そう願う娘さん。
家系で守り続けて来たノロ殿内を忘れ去って欲しくないという想いが伝わってきました。
ノロの祈りは沖縄の大切な信仰文化です。
今でも祭祀を続けている地域が残っています。
歴史の中からも消え去らない様、伝え続けていきたいです。