形よりも気持ち

今日は旧暦10月15日

昨夜、夜空には綺麗に輝く月が浮かんでいました。

今日は天気が悪いのでお月様は見えないかもしれませんが、姿は見えなくても月のパワーは降り注いでいます。

月の光や月のパワーを浴びるとリラックス効果、邪気払い、美肌効果もあるそうですよ。

散歩がてら月の光を浴びのもいいですね。

 

 

今日、急に思い立ち首里城に行って来ました。

修学旅行の時期なのか、学生が多かったですね。

首里城の「京の内」

聞得大君の祭祀場に行き感謝を伝えて来ました。

 

旧暦のウートートーは沖縄の風習で各家庭でも行われています。

1日、15日はノロとしての祭祀の日なので欠かす事なく祈りを捧げていますが、個人でも旧暦1日、15日のウートートーを大切にしています。

 

旧暦1日、15日はカレンダーにも記載されているほどウチナーンチュにとって大切にしている祈りの日ですが、1日、15日を忘れてしまったり用事でウートートーが出来なかった時に申し訳ない気持ちになり,

だんだんと旧暦の祈りが重荷になってくる。そんな話を聞きました。

特に忘れてしまった時は罪悪感を抱くそうです。

 

 

それだけ祈りを重んじているから罪悪感を持ってしまうのでしょうね。

古くから受け継がれてきた祈りを大切にするのは素晴らしい事ですが、重んじる余り祈りが重荷になってしまっては意味がありません。

 

 

ノロ殿内として旧暦の祈りを発信しているのは、琉球時代から旧暦の祈りが続いている事や、ノロの祭祀のひとつである事を伝える為です。

ノロの祭祀だから欠かす事なく務めていますが、個人が形に縛られ祈りが重荷になるのは残念な気がします。

 

 

祈りを捧げたいと思っているのに形に縛られ、形通りに出来なかったら自分を責めてしまう。それでは意味がありません。

 

 

 

旧暦の日にウートートーが出来なかったら次の日にウートートーしたらいいのです。

「〇〇の理由でウートートー出来なかったので、今日ウートートーさせて頂きます」と心を込めて感謝を伝える。

それで十分です。

形通りでなかったからと神様が怒るなんてあり得ません。

形に縛られ祈り自体が重荷になるより、純粋な気持ちで祈りを捧げる方が神様も嬉しいでしょう。

 

 

祈りとは形ではなく、気持ちが大事です。