子宝洞窟祭祀の日

今日は旧暦9月29日

「プトゥキノイッピャ」子宝洞窟参拝の日でした。

 

クバの御嶽の中腹に大きな松の木が一本枝葉を広げています。この松の木の下に「プトゥキノイッピャ」と称する洞窟があります。

子宝の授かる拝所として知られていています。

 

旧暦5月29日、9月29日は村御願として今帰仁ノロによって祭祀が執り行われます。

 

 

昔ここで天孫子の三男二女が産まれたとの伝説があり、また本部大主の乱の時、志慶真乙樽が北山城主の王子「岡春」を抱いて一夜を明かしたとの伝説があります。

三男二女に恵まれたという事から子宝に恵まれる洞窟として有名になりました。

 

 

祖母がノロを務めていた時から洞窟を参拝したご夫婦が子宝に恵まれ、ノロ殿内に沢山の喜びの報告がありました。

私達の元にも沢山のご夫婦から喜びの報告がありました。

 

 

「何故、洞窟を参拝したら子宝に恵まれるのですか」と質問を受けたことがあるのですが、何故なのか分かりません。

理由は分かりませんが昔から参拝した方々が子宝に恵まれたという事実があるのです。

 

 

沖縄には数々の伝説の場所があります。

子宝に恵まれる拝所も沢山あります。

 

 

琉球創世「アマミキヨ」

ニライカナイからやって来たアマミキヨが久高島に降りたち、七御嶽を作ったとされています。

アマミキヨ伝説は浜比嘉島や、北部のアスムイ御嶽、プトゥキノイッピャ洞窟もアマミキヨ伝説が残されています。

 

 

ニライカナイに向かう途中に久高島があるとされ、久高島は神の島と呼ばれる様になっていますが。

同じようにニライカナイに向かう途中に古宇利島があり、古宇利島は琉球の始祖と言われています。

南部と北部に同じ様に、琉球の始祖の伝説があります。

 

 

 

斎場御嶽から東に見える久高島、今帰仁城址から東側に古宇利島。

琉球人の発祥の地

アマミキヨ伝説

 

同じ様な伝説が南部と北部に残っているのは不思議です。

歴史を紐解いていくと大切な何かが見えてくるようです。