子供が3歳くらいになると始まる「なんで、なんで」
何に対しても「なんで?」と質問して来る。納得するまで「なんで」を繰り返し、親の方が参ってしまう事もありますよね。
子供の成長でとても大切な時期。心理学では「質問期」というそうです。
大人になったら何故、質問する事がなくなってしまうのでしょうね。
知らない事が恥ずかしくて聞き辛いのかもしれませんね。
「なんで?」と疑問を持つことで真実を知ることに繋がる。
ふと、そう感じる事がありました。
見えない世界の事を伝えられた時、その話に「なんで?」と疑問を持った事がありませんでした。
神様がそう言っているのだからとすんなり受け入れていました。
ある日、ふと疑問を持たない事に、疑問を持ちました。全てを鵜呑みにしてもいいのだろうかと。
例えば拝みの際にお供えする数々の品。
果物は何種類で餅は何個で、お酒、お米と準備する物が沢山あります。その一つでも欠けたらバチが当たるのではと不安になり教えてもらった通りに準備しお供えします。
そこに疑問などありません。
ほとんどの方がキチンと準備するでしょう。
お供え物って誰が決めたのだろう?
神様が〇〇をお供えしなさいって言うのかなとふと、考えました。
疑問を持ち深く突き詰めていくとお供え物って人間が決めた事なんだと気づきました。
最初に決めた人がいるのです。それに従っているのですね。
お供え物は人が決めた習わしだと気づくと、準備が出来なかったからと不安になる必要はありません。
神様が決めた事に背くといけないと思うから不安になっていたのです。
教えや風習は大切ですが、出来なかったからと神々様が怒ることはありません。
それよりも不安な気持ちで手を合わせる方が神々様は悲しいでしょう。
手を合わせる事で安堵が得られる事を神々様は望んでいると思います。
お供え物を例えにしましたが、何事もそうです。
これは違うなと思う事は「なんで?」と疑問を持つ事が大切だと感じました。
「なんで?」を突き詰めて行くと納得した答えに辿り着きます。
そこに真実があります。
人の言葉だけに頼っていたから疑問すら持たなかったのです。
自分の中から湧き出る思いがあったかもしれません。そこに耳を傾ける事が大切だったのです。
自分の中から湧き出る思いが神様からの真のメッセージなのかもしれません。