御嶽は心の拠り所だった

沖縄の御嶽はノロの祭祀場で知られていますが、他にもいろんな顔を持っています。

御嶽がノロの祭祀場になる前の古い時代、ひとつの集落にひとつの御嶽があり集落の人々によって祭祀が行われていました。

集落の人々を守護していたのが御嶽の神様でした。

 

 

 

 

沖縄のお年寄りが御嶽のことを「クサティムイ」と呼んでいたそうです。

「クサティ」とは腰当て。「ムイ」とは森。

クサティムイとは腰当て森です。

腰当てとは「座る時に腰の後ろに当て、姿勢を楽にしたり保温するもの」です。

 

 

 

 

あぐらを組んで座っている膝の上に、小さな子供が座る。

親のあぐらに腰を当てて子供が座る形を、クサティと表現していました。

 

御嶽の事を「クサティムイ」と呼んでいたのは。

親のあぐらに安心して子が座っているのと同様に、村の人々が御嶽の神様に抱かれ安心し生活していた状態をクサティと表現したのです。

古代の人々にとって御嶽の神様は親と同じで、安心出来る存在であったという事ですね。

 

 

 

 

御嶽を中心に村が形成されていたのも、神様と共に暮らすため。

古代の人々は御嶽の神様に見守られ、共に暮らす事で安堵を得ていたのです。

 

 

 

 

時代は変わり神様の存在が遠くなりました。

何もなく生きるのが精一杯だった時代より、物に囲まれ何ひとつ不自由のない今の時代の方が不安を抱えている人が多い気がします。

神様の存在が遠くなればなるほど、不安は大きくなるのです。

 

 

 

安寧を求めるなら心の拠り所が必要だと、古代の人々の暮らしから教えられた気がします。