祈りに間違いなどありません

「ヒヌカンの灰はどう処分したらいいですか」

「1日、15日を忘れた時、次の日に手を合わせていいのですか」など。

ヒヌカンや神事について「これでいいのだろうか」「間違っても大丈夫なのか」という相談を受けることがあります。

 

 

 

 

日頃から神事をちゃんと行っている人ばかりですが、先祖事や神事を重んじる余り不安になっているのです。

先祖事や神事と真面目に向き合っている人ほど、間違ったやり方ではいけないと不安になるのですね。

 

 

 

 

「大丈夫ですか」の答えは「大丈夫です」しかありません。

心を込めて祈りを捧げる事に、何をもって間違いと言えるのかです。

 

 

 

神事について「大丈夫ですか」と相談するのは、バチが当たるのではという不安があるからだと思います。

「神事はこうでなければいけない」という教えがあるから、不安を抱えてしまうのですね。

 

 

 

 

昔ながらの風習や作法はありますが、それも時代と共に変わっていくものです。

お供え物のお米やお饅頭やお酒など、昔はありませんでした。

稲をお供えしていた時代もあれば、今はお饅頭をお供えしています。

 

沖縄ではうちゃぬくという白いお餅をお供えするのが習わしですが、それも昔はなかった食べ物です。

 

 

 

 

 

こうしなければいけない。

そう決めたのは人間であり、神仏様ではありません。

お供え物をしなかったからとか間違った方法で拝んだからといって、バチが当たることなど絶対にありません。

 

 

 

 

 

祈りとは真心です。

それを知っていると不安などなくなります。

沢山のお供え物や沢山の線香よりも、真心のこもった祈りの方が天の喜びに繋がります。

 

 

 

 

見えない世界について不安を煽るようなアドバイスには疑問を持つ事です。

何故なら、見えない世界や祈りとは私達を不安から救ってくれる心の拠り所だからです。