沖縄には門中拝みという拝み行事があり、親族一同で県内の拝所や御嶽を参拝します。
3年に1度、5年に1度、7年に1度お礼参りをします。何年ごとに参拝するかは門中によって違うようです。
門中拝みには「東御廻り(あがりうまーい)」と「今帰仁上がり(なきじんぬぶい)」があります。
東御廻りは南部を中心に参拝し、今帰仁上がりは今帰仁の拝所を参拝します。
今帰仁上がりの参拝ルートに今帰仁ノロ殿内が入っています。門中拝みのシーズンは大勢の参拝客で賑わいます。
ここ数年「ノロ殿内を拝んできなさいと言われたので来ました」という参拝客が増えています。
ノロ殿内だけでなく沖縄の拝所や御嶽を行くように言われ、あちらこちらの拝所を廻っている様です。
「どこどこを拝んで来なさい」と言われ行くべき拝所を探し拝み歩く。そういう方は沖縄にとても多いです。
拝みに行くようアドバイスをもらい御嶽や拝所に足を運んでいると思いますが、自ら参拝したいと思うのと行かなければいけないと思うのでは気持ちが違います。
行くように言われると、行かなければいけないという不安な気持ちが生まれます。
これまでに大勢の参拝客を見てきましたが自ら望んで来た方と、誰かに連れて来られた人とでは明かに表情が違っていました。
後者は不安を抱えているのが表情から伝わってきました。
ここ数年で数名の方が県外より日帰りで今帰仁に足を運んでくれました。
参拝したいという強い思いで日帰りで参拝に訪れたのです。
参拝後の安堵感は表情からも伝わってきました。
自ら純粋に〇〇したいという思いと、〇〇しなければいけないという思い。
「〇〇したい」と自分の声に従うのか「〇〇しなければいけない」と誰かの声に従うのか。どちらが心を救ってくれるかは一目瞭然です。
スピリチュアルに限らず何事も自分の意思で行動するのと人に言われて行動するのとでは、結果が大きく違うような気がします。
自分の意思で行動するとどんな結果であれ後悔する事はありませんし、自分で決めたことを成し遂げられたという満足感が得られます。
自分の中から湧き起こる思いに素直に従うことです。