「拝み不足」からの不安な祈り

参拝客にお会いする機会がある際

「どうしてノロ殿内を知ったのですか」と尋ねています。

どういう経緯でノロ殿内を知ってもらえたのかを知りたくて尋ねています。

 

 

人の紹介だという人がとても多く、他にはブログを見て知った方や通りすがりに気になったから来たという人もいます。

それ以外では「ユタに行く様に言われたから」という人も多いです。

 

 

 

お正月、ご家族で参拝している方に尋ねたら

「先祖のルーツが今帰仁にあると知り、そこから色々と調べていたらノロ殿内を知りました」「参拝は今日で3回目です」と旦那様が話していました。

その後奥様から

「ユタに拝み不足だと言われて来ました」

「旦那はノロ殿内に拝みに来たらとても良かったみたいで、ここに来るのも今日で3回目です」と伝えてくれました。

 

 

 

ユタに拝み不足だと言われどこを拝めばいいのかを調べているうちにノロ殿内に辿り着いた様です。

参拝する事で安心したのでしょうね。

新年早々に参拝に来て下さったのも、深い思いがあったのだと感じました。

 

 

 

「拝み不足」

新年早々に聞かされたのも意味があると感じ。

奥様に「拝み不足なんてありませんよ」と声をかけましたが、どう受け取っていいのか分からない様子でした。

 

 

 

きっと何かしらの問題がありユタに相談に行くと「拝み不足が原因」だと言われたのでしょう。

問題を解決する為、拝むべき場所を探し歩いたのだと思います。

参拝するキッカケは拝み不足を解消する為。

拝み不足と言われ拝み歩いている人がとても多いのが、今の沖縄の現状です。

 

 

 

恐怖や不安な気持ちで手を合わせるのは、本来の祈りとはかけ離れています。

祈りとは感謝を伝えることです。

 

 

 

拝み不足が原因と言われたなら誰だって不安になるでしょう。

拝みが足りないから神仏様ご先祖様が苦しみを与えているという事です。

苦しみを与えている神仏様ご先祖様に、心穏やかに向き合えるはずもありません。

「ありがとう」の感謝の祈りではなく、「ごめんなさい」の謝罪の祈りになるのは当然です。

 

 

 

文字にすると拝み不足がどれ程、神仏様ご先祖様に対して失礼な事を言っているのか分かりますね。

 

 

 

拝み不足を解消する為に辿り着いたノロ殿内。

祈りを捧げた事で安堵に繋がり「また来たい」と思えた。

参拝する事で安堵に繋がりまた訪れたいという気持ちになれたのも、神仏様ご先祖様のお陰です。

「心配する事はない、拝み不足なんてないから大丈夫」という神仏様ご先祖様の思いが伝わったのだと思います。

 

 

 

 

拝み不足について伝えたい事が沢山あります。

「拝み不足」で苦しむ人がいなくなる未来へと繋げていきたいですね。