ネットを通してノロ殿内を知ったという人が多いのですが、知らない土地の小さな参拝所にも関わらずネットの情報だけを頼りにご縁してくれた事。
実際に遠く今帰仁まで足を運んで頂き「やっと行くことが出来ました」と喜びの声を伝えてくれた事。
こんなにも有り難く嬉しい事はありません。
参拝した事で「もう大丈夫」と心から安堵できる人がいるのなら、この先もずっと変わらず皆様の心の拠り所となれるよう守り続けていきたいと思っています。
今日は旧暦15日です。
ヒヌカンより「いつも見守って下さり有難うございます」と手を合わせました。
普段お仏壇に手を合わせる時近況を伝えた後「ご先祖様、これからも見守って下さい」と最後に伝えています。
ある日、ふと思ったのです。
ご先祖様に見守って下さいとお願いしなくてもご先祖様は見守っていると。
お仏壇に手を合わせる時は近況報告と感謝を伝えるだけでいいはずなのに。
分かっていてもご先祖様には「見守っていてね」と言いたくなってしまう。
血の繋がりのあるご先祖様だから「見守っていてね」と自然と言葉が出てくるのだと思います。
離れていても深く繋がっていると感じているのですね。
本来、祈りは感謝を伝えるだけで良いと言われています。
神仏様もご先祖様も何も言わずとも全て分かっているから。
何も伝える必要などないのです。
それでも想いを伝えないと不安になります。
神仏様、ご先祖様に話す事でホッとします。
お願いというより、会話です。
神仏様、ご先祖様に話を聞いてもらうだけで安心に繋がっているのです。
人それぞれの祈りがあります。
祈りとは言葉では表せない、とてもとても奥深いものだと感じています。
手を合わせるだけで心から安心できる。
祈りに不思議な力がある事は間違いありません。