誰でも大なり小なり人生に苦難は訪れるもの。
良いことばかりの人生なんて無いと言っても過言ではありません。
どんなに笑顔で幸せそうに見える人でも、陰で計り知れない苦労している人は大勢います。
悩み、苦しみ、悲しみ。
それを乗り越えていくのが人生です。
辛い時、悲しい時にノロ殿内に足を運んでいる人がいます。
涙を流した後、笑顔になって帰って行く姿を今まで沢山見てきました。
心の救いを求め訪ねてくる人々を笑顔にしてくれるのは、神仏様、ノロさん、見えない存在です。
自分の力で乗り越えようと思う人ほど、心の拠り所を求めている気がします。
心が強くあればどんな苦難も自分の力で乗り越えられると分かっているからです。
ノロ殿内がこれからも皆様の心の拠り所となれる様、守り続けたいと思っています。
昨日、今帰仁に帰り久し振りに龍眼の木を見たのですが。深緑の葉が生い茂り、幹がドッシリと逞しく若返っていました。
いつ会っても癒されます。
昨日も大勢の人が龍眼の木に癒されていました。
帰り際に龍眼の木を見ていると、根元に数枚のお金が置かれている事に気付きました。
お金が置かれていたのは初めてです。
龍眼の木はロープで囲っている為、中に入らないとお金を置く事が出来ません。
他にも置かれてないかと探したら、木の幹の上のくぼみに刺すように置かれていました。
木にお金が刺さっているのを見るととても痛々しく可哀想になりました。お客様もとても心を痛めていました。
木からしたらお金は異物でしかありません。
体に異物が刺さっているのと同じです。
お賽銭として置いていったのでしょうね。
悪気がないのはよく分かります。思いがあり置いていったのだと思います。
龍眼の木にお賽銭箱を置いていないので、その場に置くしかなかったのだと思います。
沖縄は自然の中に拝所や御嶽があります。
自然の中にお金を置いていくとそれはゴミにしかなりません。管理している場所であるならのちに管理者が受け取ると思いますが、管理者がいない場合は置きっ放しになってしまいます。
お賽銭箱がない場合や自然の中の場合はお金をお供えし参拝した後、そのお金はそこに置いていくのではなく「ウサンデー」として受け取り有り難く使わせて頂く。
それが神仏様への礼儀であり、自然への思いやりです。