ノロの祭祀道具として首里王府より下賜された勾玉、かんざし。
600年以上もの歳月を守り続けたご先祖様の思いは相当なもの。
曽祖母は戦争の中を勾玉、かんざしを抱え逃げたそうです。勾玉、かんざしを肌身離す事なく守っていたと聞きました。
その勾玉、かんざしが盗難にあったのは今から46年前。
プトゥキヌイッピャの祭祀を翌日に控え勾玉、かんざしを準備しようとした際なくなっている事に気付いたそうです。
当時の様子を母が今でも鮮明に覚えているのは、それだけ衝撃的な出来事だったのでしょう。
祖母が動揺していた姿や神棚に祈っている姿がかすかな記憶の中に残っています。
当時、新聞にも取り上げられるほどでした。
まさか、1年半後に無事に戻ってくるなんて。誰もが想像すらしていなかったと思います。
県文化財担当課に勾玉、かんざしが送られてきて、無事ノロ殿内に戻ってきました。
「私まで数人の手に渡ってきたが全員が原因不明の発熱に冒された。私も同じで病院でも治らないので現物は送り返すから犯人等の詮索はしないで下さい」
そう伝えられました。
両親は無事戻ってくるならそれだけで十分だと受け取ったそうです。
(盗難にあった当時の新聞記事です)
数年前の新聞に当時の盗難について投稿している人がいました。
勾玉、かんざしが無事戻ってきたことに対して
「霊とか神様とか目に見えないものについて半信半疑でしたが、目に見えない力があると信ずるようになった」
そう書かれていました。
魔法の力で何でも叶えてくれるし、人生についてアドバイスもしてくれる。
どの道に進めばいいのか教えてくれるので、神様の言う通りに生きていたら間違いない。
見えない世界についてそう信じている人が今でも大勢います。
見えない世界は残念ながら魔法の世界ではありません。
が、しかし勾玉、かんざしが一年半の歳月を経て自ら戻ってきた事を考えると、見えない力が動いたとしか考えられません。
見えない力は確かに存在しています。
数々の体験を通して確信しています。
どうしても神仏様の力が必要になった時、神仏様は見捨てたりせず力を貸してくれます。
神仏様が動く時、それは「そうでなければいけない時」
この世の中で「こうあるべき時」に神仏様は力を貸して下さるのです。
勾玉、かんざしはノロ殿内にあるべき物。
ノロ殿内になくてはならない物です。
あるべき場所に戻ってくるのは必然で、見えない力が動いたのも必然です。
見えない力を求める時、「こうあるべき」「そうでなければいけない」事なのかを心に問うてみて下さい。
そうある事が当然で誰にとっても望ましい絶対的な事なら、神仏様は必ず力を貸して下さります。