残されたもの

昨日はウチナーンチュにとって特別な1日でした。

 

県内各地で慰霊祭が執り行われ、糸満市摩文仁の平和記念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が営まれました。

刻銘板に刻まれた戦没者は24万人以上。

沖縄の4人に1人が犠牲になりました。

 

 

刻銘板に刻まれた名前をさすりながら「今年でここに来れるのは最後になるよ、ごめんね、ごめんね」と涙を流がすおばあちゃんの姿。

ご馳走やお茶、線香を供え、名前を撫でながら話しかける親族の姿。

刻銘板の前で手を合わせる遺族の方々の姿を見ていると、やりきれない思いでいっぱいになりました。

戦争が残した心の傷はいつまで経っても無くなることはないのです。

 

 

曾祖父、曾祖母、祖父母が生き抜いてくれたお陰、両親を守り抜いてくれたお陰で今の自分の命があるのだと、改めて実感した1日でした。

 

 

 

ノロ殿内にはもうひとつ戦争から生き抜いた物があります。

それは「勾玉、かんざし」です。

琉球王府から下賜された「勾玉、かんざし」沖縄戦の戦火をくぐり抜け下賜された時とほぼ同じ形で残っています。

 

 

空襲警報がなると曾祖母は1番に「勾玉、かんざし」を抱え、避難したと聞きました。

勾玉、かんざしはそれぞれ箱に入っているので重さもあり、2つを抱え避難するのは大変だったと思います。綺麗な形で残っているのは曾祖母の「ノロとして下賜された神器」を守り抜くという強い思いの表れです。

 

 

 

戦争という悲惨な戦火を生き抜き、今に残されたもの。

今、こうして「ここにある」というのは奇跡だという事です。

自分自身もそうですね。

今ここにあるものを大切にしなければいけません。