思いは人それぞれ

ここ最近、県外からの参拝客が増えています。

お守りでご縁した方が沖縄旅行の貴重な時間を使って今帰仁に足を運んでくれたり。いろんな思いがありネットで検索したらお福わけにたどり着いたとご縁してくれたり。

参拝名簿を見るたび有り難いなと感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

通りすがりにふらっと立ち寄ってくれた方や、ネットでノロ殿内を知り訪ねてくれた方。

ノロ殿内がどんな参拝所なのかを知ると皆さん、参拝したいと願い神棚に手を合わせてくれます。

 

 

龍眼の木の白龍神様の話を人づてに聞き、訪ねて来る方も増えました。

龍眼の木を見せて欲しいと話す方には、この場所がどんな参拝所なのかを伝えています。

 

 

神棚を参拝した後に龍眼の木を参拝する方が多いのですが、龍眼の木だけを参拝する方もいます。参拝は自由なのですが最近、悲しい思いをしました。

 

 

 

たまたま、今帰仁に帰っていた時に目にした光景です。

この場所がどんな場所であるかを知っているにもかかわらず、龍眼の木を見せるためだけに数人の方々を案内している人がいました。

木の周りに集まり写真を写し、楽しそうにお喋りをしていました。

 

 

龍眼の木に会うことが喜びに繋がり、幸せな気持ちになって貰えるならとても嬉しい事なのですが。

神棚に背を向け龍眼の木の写真を写している姿を見ると、何故か悲しくなってしまいました。

今帰仁ノロ殿内の敷地内にご神木があるのであって、本来この場所は琉球から続く参拝所なのです。

それを知っているはずなのにノロ殿内に挨拶する事なく、神棚にお尻を向けて龍眼の木の周りで写真撮影ばかり。

参拝して欲しいと願っているのではありません。せめて外からでも神棚に挨拶して欲しかったです。

 

 

太陽神様、代々のノロさんに一礼もなかったのは見ていて寂しかったですね。

 

 

龍眼の木が先にこの場所にあり、後からノロ殿内が今帰仁城址から降りて来ました。

ノロ殿内が降りてくるずっと前から白龍神様は龍眼の木に宿っていて、ノロ殿内をこの場所に導いてくれたのだと感じています。

案内していた方は龍神様が見えると話していました。龍眼の木に白龍神様が宿っているのを知っているからお友達も連れて来たのでしょう。

人を案内するのならせめてこの場所がどんな場所であるのかを、連れて来た方々に伝えて欲しかったです。

 

 

ノロ殿内を守り続けたいと願う私達の勝手な思いなのかもしれませんね。