祈願と感謝

旧暦8月15日は中秋の名月でした。

8年ぶりに満月と重なった中秋の名月。沖縄では雲の切れ間からまん丸いお月様が見えました。赤く光る幻想的なお月様はとても美しかったです。

 

 

 

琉球王朝時代の十五夜は、豊作祈願の意味合いが強くありました。

「月御願」としてノロ殿内の庭でお供え物を供えて、拝みを捧げていたそうです。

ノロ殿内の十五夜は、旧ノロ殿内のヒヌカンにて感謝の祈りを捧げました。

 

 

 

十五夜といえば月見団子ですが沖縄では「フチャギ」と呼ばれる小豆のまぶしてあるお餅をお供えします。

赤色は魔除けの色だと言われ小豆を蒸すと赤色になることから、小豆には厄除けの意味が込められています。

また、小豆を潰してしまうと魔除けの効果がなくなるという考えから、小豆を潰さずにまぶしています。

 

 

 

小豆のまぶしてある俵型のフチャギ。

見た目はインパクトがありますが小豆の食感に柔らかいお餅がマッチしていて、とても美味しいです。

 

 

 

 

古くから伝わる拝み行事やお供え物ひとつにも、先人達の思いが詰まっています。

何の為の拝みなのか、お供え物にはどんな意味が込められているのかを知ると、先人達がどの様に神仏様と共に生きていたのかが分かります。

 

 

 

昔の祈願と現代の祈願。

昔は生きていくためだけの祈願でしたが、現在はより良く生きるための祈願です。

十分に満たされた現代でも神仏様に願うことがあるのは、人間は望みを持つ生き物だからだと思います。

 

 

 

希望や欲をなくして、人の成長はありません。

そうありたいと天に願う。

望みがあるから、幸せな未来を築いていけるのだと思います。

 

 

 

祈願と感謝はひとつです。

天に願ったのなら感謝を忘れずに。