見えないものこそ大切に

参拝客の行動に関しての先日のブログについて。

 

 

御神域では礼節を重んじるべきだとの声や、神仏様が視えていないから軽はずみな行動がとれるのだとか。

神仏様に対して良いとこどりのみだと思うなど。

人それぞれ、いろんな思いがあったようです。

 

 

 

拝所を訪れる理由は様々。

悩みや苦しみなどの問題を抱え自分の力ではどうする事も出来ないほど追い詰められた時、誰しも神仏様に助けてほしいと願います。

神仏様なら力になってくれると信じているからです。

 

 

 

拝所を訪れるほとんどの人がルールを守り参拝しています。

神仏様がその場にいらっしゃる事を知っているので、神仏様に対して礼節を重じています。

 

 

 

 

パワースポット巡りも何かしらの思いがあって神仏様の元に足を運んでいると思いますが。

神仏様がその場にいらっしゃると分かっていても神仏様のお姿は視えないので、軽はずみな行動がとれるのかもしれません。

 

 

もし龍眼の木に白龍神様のお姿が視えたなら、御神域に入り木の根っこを踏みつけ木に抱きつくなんて出来ないはず。

神仏様を前に勝手な行動がとれるのは、姿が視えないという事が大きく関係していると思います。

神仏様が視えないからどんな行動をとっても怖くないのですね。

 

 

 

神仏様や白龍神様が視えるから、礼節を弁えるのではなく。

御神域で礼節を弁えるのは常識です。

 

 

 

 

参拝だけに限らず、人としての行動も同じ。

誰かが見ているから良い行いをするのではなく。

誰かが見ていても見ていなくても、良い行いをするのは人として当たり前のことです。

誰も見ていないところでの行動に、人の本質が現れます。

 

 

 

 

「お天道様は見ている」

昔々から言い伝えられている言葉が全てを物語っています。

 

 

お天道様は見ています。

どんな人を応援したいのか。

その思いは私達と同じだと思います。