数々の体験を通して龍神様の存在を確信しましたが、これまでの体験以外に龍神様の存在をより確信した出来事がありました。
親族の一人に実際に起きた出来事です。
ある日突然、私の体と重なった大きな顔の龍神様が視えたのです。
私と重なって視える大きな顔の龍神様に、幻覚を視ているのかそれとも妄想なのか。それにしてもはっきり視えているのは何だろう?としばらく呆然としたそう。
視えている龍神様の話はとてもリアルで、本当に龍神様が視える様になったのだと驚きました。
視える・聞こえるという霊感は今までなかった人なので、突然視える様になった事を本人が1番驚いていました。
(ちなみに妄想や幻覚の病気ではないかと心配し脳神経外科を受診、きちんと検査も受けました。もちろん何の異常もありませんでした)
2年ほど前の出来事です。
当時は伝えることではないと思ったのですが何故、今となって伝えるのかと言うと。
龍神様がどの様に人々を守護しているのかなど龍神様のことを知ることで安心に繋がり、日々心穏やかに過ごすことが出来るからです。
実際に私達がそうです。
龍神様が視えた期間は、ほんの一ヶ月でした。
その一ヶ月間で龍神様がどの様な姿形をしていて、どの様に人々を守護し、どの様な行動をしているのかを知りました。
龍眼の木から煙が出た時と同様に龍神様の存在を確信させる為に、私達の身近な人に姿を視せてくれたのだと思います。
身近な人が視えた事でより龍神様を身近に感じられ、龍神様の事を詳しく知ることが出来ました。
龍神様が側に寄り添い守護していると知った事で深い安心に繋がり、心から感謝の気持ちが湧き起こりました。
あれから2年経ちましたが龍神様の事ばかりを考えているのかというとそうではなく、ふとした瞬間思い出しては感謝しているという感じです。
見えない世界見えない存在は確かに在るが、見えない存在を追い求めてはいけない。
私達は現実世界を生きているのだから、見えない存在に依存しては成長することなど出来ない。
姿を視せてくれたのが期間限定であったのは、見えない存在は視る必要がないから視えないのだと。
そういう事を伝える深い意味があったのだと感じています。
親族が視えたことで誰にでも視えるという事、また見える人が特別な人ではないと分かりました。
視えるようになったのには何かしらの意味があり、その時その時必要な人に神仏様、龍神様は姿を視せているのだと思います。
沖縄では視える聞こえる人を特別扱いしてしまうので視えた人を親族とだけ書いています。私が伝えたい事は誰が視えたという事と何の関係もありませんので。
龍神様が視えた時の事については、次回書きたいと思います。