ある拝所で拝みをしたい方がいると霊能者?ユタ?から連絡があり。
「拝所で祈願する際神様に「誰々の拝みです」という案内をかけないといけないから。その拝みに一緒に参加しますがいいですか」と。
神仏様に依頼者の名前の帳簿?を渡さないといけないらしく。それは自分にしか出来ないから拝みに同行するのだと話していました。
個人の拝みにユタ、霊能者を同行させるというのは沖縄ではよくある事です。
拝みに帳簿が必要であり、霊能者しか神仏様に帳簿を届けられないのだそう。
ノロ殿内に参拝に来た方々に神棚に手を合わせるときは「住所、名前、干支」をお伝えして下さいと話しています。
神仏様はどこの誰が何故拝みに来たのか知っています。
それでも神仏様の前で名前を名乗り挨拶するのは礼儀だからです。
挨拶は人間社会も同じですよね。
名前は自分で名乗るもの。
誰かが代わりに挨拶するというのはあり得ません。
それは神仏様の世界でも同じだと思います。
誰々が拝んだから浄化した。
誰々が拝んだから願いが叶ったなど。
拝んだ人に力があると信じている人はとても多いです。
拝みの人の力を信じているから、個人の拝みに同行をお願いするのでしょうね。
浄化も願いが叶うのも真心の込められた祈りの力であり、祈りを受け取った神仏様のお陰だと私は思っています。
祈りを捧げた人の真心が神仏様に届いたのです。
祈りとは真心です。
神仏様は真心を受け取っています。
真心は自分自身で届けるものです。