以前「視える、聞こえるなら行方不明の人を探し出して欲しいからノロさんにお願いして」と言われました。
その方はユタとノロの違いを知らずノロも霊能力があると思っていたそうです。視える、聞こえるなら助けて欲しいと思うのは当然ですね。
県外出身の方なので沖縄のユタ文化にとても興味があり「今度は拝み不足について研究する」と話していました。
「ユタとノロ」
どれだけ違いを説明しても、ノロはユタと同じ霊能者として受け止められています。
実際に今帰仁に相談に訪れた人も1人ではありません。
ノロは霊能者ではなく琉球國時代に祈り人として任命された女性司祭です。
祭祀を務めるのが役目であり、それ以外の役目はありません。
ノロ制度も廃止になったのでこの先ノロが誕生する事は難しいでしょう。
ノロの家系であってもノロを継がなければノロではありません。
現在沖縄で祭祀を務めているノロは数える程だと思います。
ノロを地域から選んだり、カミンチュがノロの代わりに祭祀を務めている地域もあります。
ある離島では「カミンチュが生まれた」と表現するそうで、そのカミンチュがノロの代わりに祭祀を務めるそうです。
ノロの役目は地域の祭祀を執り行う事であり、判断する事はありません。
カミンチュも同じです。
カミンチュとは祈り人の事です。
沖縄ではノロとノロのお供をしていた人の事をカミンチュと呼んでいます。
カミンチュも祭祀を行うのが役目であり、判断する事はありません。
祈りの場であるノロ殿内の存続が目的でしたが、何故か見えない世界を学ばされてきた気がします。
見えない世界を探求し気づいた事や確信した事を伝える為に、学ばされてきたのかと感じています。
今まで学んで気づいた1番大切なこと。
悩み苦しみの解決方法は、現実世界にしかないという事です。
それに気づく事が大事であり、気づいた人は解決に向かいます。
見えない世界に解決方法があると思っている限り答えを探し歩くしかなく。解決からどんどん遠ざかってしまいます。
「人事を尽くして天命を待つ」
人としてやれる事を全てやり尽くした後は、天の運命に任せるという意味です。
これが本当のスピリチュアルな生き方だと思います。
どんな出来事が起こってもやれる事は全てやり尽くす。
その後は天に運命を任せる。
現実世界でやれる限りの事はやり尽くし、その後は神様にお任せする。
どんな結果であれやれる事をやり尽くしたのだから後悔はなく、天が決めた結果だから受け止める事が出来ます。
そこに依存はなく自身の力で向き合ってきたので後悔はないのでしょう。
誰にも依存する事なく自分の力で解決に向き合っていると、シナリオ通りに歩き出していきます。
自分を信じる事でシナリオ通りに導かれていくのです。
シナリオ通りに歩いているので、どんな結果であれその結果は人生をより良くします。
何故なら、自身の書いたシナリオだからです。
シナリオの結末は幸せである事は間違いありません。