60代か70代の女性2人が同じソファーのすぐ隣で食事をしていました。
食事の途中からひとりの女性がヒートアップし大声で前に座っている女性に話しかけていました。
すぐ隣の席なので嫌でも会話が聞こえてきます。
「拝み、拝み」というワードが何度も聞こえてきました。
「私は子、孫にいかせたくないから?頑張っているんだよ」1番伝えたい事だったようで、お友達に熱心に訴えていました。
私が席を外している間に「今回チューアタイしたから」とも聞こえたようで。
女性2人の会話は想像ですが、沖縄あるあるではないかと思いました。
「チューアタイ」とは沖縄の方言で「強く当たる」という意味。
熱心に話していた女性の子供かお孫さんが何かに強く当たる(例えば高熱を出したなど)という原因不明の不調があり、ユタに判断にいくと「〇〇不足」からきていると言われ拝みをしたという事ではないかと。
原因不明の不調があると原因を知るためにユタに判断に行くという、沖縄ではよくある話。
「医者半分、ユタ半分」という言葉がある程です。
「子、孫に背負わせたくないから自分が頑張るしかない」
不足ごとがあると自分の代で不足を解消しないと、子、孫の代が不足を受けると思われています。
女性は子、孫に不足を背負わせたくないから不足を解消する為、言われたとおりに拝みを頑張っているという事を伝えていたのだと思います。
60、70の年代でも不足ごとに悩まされている人がいる事を知り、何とも言えない気持ちになりました。
女性は気付いていないだけで、とても大切な事を話しています。
「子、孫に背負わせたくないから自分が頑張っている」
子、孫の代に不足ごとを持ち越したくないという強い思い。
自分が苦労してでも子や孫を守りたいのですね。
その気持ちはあの世に帰っても変わる事などないはず。そこに気付いていないのです。
それに気付いていたらご先祖様が不足ごとを子孫に背負わせるなど有り得ないと分かるはずです。
不足ごとであの世で苦しんだとしても、子孫に原因不明の苦しみを与えてまで不足ごとを解消して欲しいと思うでしょうか。
子や孫に苦しみを与えるくらいなら、誰でも自分が苦しんだ方が良いと思うはずです。
そもそも不足ごとって何でしょうか。
あちらこちらを拝む事で解消されるくらいの事?
もしそうなら沖縄の人は事あるごとに「ウートートー」と手を合わせています。
小さな子供でも「ウートートーして」というと両手を合わせ祈ります。
不足ごとが拝みをする事で解消出来るなら、この世にいる間に十分に拝んでいるから不足する事などないはずです。
それよりも何よりも、自分の不足ごとを何故自分で刈り取らないのでしょうか。
子孫に刈り取ってもらうなら自身の魂の成長はどうなるのでしょう。
疑問です。
あの世の仕組みは生きている私達には分かりません。
分からないからこそ、あの世の事で苦しむ必要などないのです。
お隣さんの会話は神仏様から聞かされたのだと感じています。
見えない世界についての真実を知る時なのだと思っています。