月に一度今帰仁に帰るかどうかなのですが、帰るたびに出会いがあります。
導かれる様にノロ殿内に訪れた方々に会わせてもらっている気がします。
気づきや多くの学びを頂いています。
少し前にお会いした女性なのですが今でも心に残っている方がいます。
とても素敵な女性だなぁというのが第一印象でした。
人の生き様は顔に表れると言いますが、一目見て良い人だと分かる柔らかい印象の女性でした。
「ずっと前から参拝したかったのですが、こんな私がノロ殿内に行ってもいいのかと勇気が持てませんでした。今日参拝できて本当に良かったです。」帰り際に挨拶してもらった言葉。
「こんな私が?」その女性から出てくる言葉らしくなかったので
「何故、こんな私がと言うのですか」と尋ねました。
話を聞くとある霊能者に言われた言葉が心を苦しめている様でした。
詳しくは書けませんが表の顔と裏の顔が全然違うような事を言われ、1日1日の反省文を書くように伝えられたそう。
本人は何を反省していいのか分からず、何も書けないと苦しんでいました。
泣きながら話している姿を見ていると胸が苦しくなり、怒りの感情と共に悲しさが押し寄せてきました。
「自分は悪者なんじゃないかとずっと悩み苦しみ、自身を振り返り反省しようと必死だった。本物の悪者なら言われた事を気にもしないし反省なんかしません。神様の元に来てこんなに涙するのはとても純粋な心の持ち主だからです」
と伝えると
「こんな最低な私が神様の元に来てもいいのかとずっと悩んでいたけど、こうして手を合わせる事が出来て本当に良かった。」と笑顔になっていました。
神様が人間を良い人、悪い人とジャッジするのでしょうか。
何度も「神様は人の人生に口出ししない」「答えを教えてくれない、ただ見守っているだけ」と伝え続けているのは経験を通して辿り着いた答えだからというのもありますが、
苦しんでいる人に会わされたというのが1番の理由です。
それはひとりではありません。
会って話を聞くことが出来た人以外にも、神様の言葉に苦しんでいる人がいるのではないかと。
霊能者さんから伝えられた言葉は、神様からの言葉だと信じています。
その神様から「あなたはダメな人だ、反省しなさい」と言われたなら、どんなに苦しい事でしょう。
霊能者さんが悪いと言っているのではありません。
霊能者さんは見えた事を伝えているだけで、霊能者さんにとってはそれが真実です。
嘘で苦しめているわけではないと思います。
嘘だと知りながら伝えているならそれは人として最低です。そんな人はいないと信じたいです。
誰かのせいにしても意味はありません。
誰かが悪いのでもありません。
悪者を探しているのでもありません。
見えない世界に頼るのは自由です。
見えない世界に頼るなら伝えられた言葉は良い事だけを信じる、占い程度に受け取る方が良いと思います。
人生を左右するくらいのアドバイスを全て受け入れるという事は、目の前の人に人生を委ねているのと同じです。
神様に委ねているのではありません。
目の前の人に委ねているのです。それに気づいて欲しいです。
霊能者さんをはじめご縁した沢山の方々にアドバイスを頂き、力になってもらって今があります。
心から感謝しています。
人の意見を聞くことは必要です。
大事なことはそのアドバイスをどう受け入れるかです。
委ねるのではありません。
見極めるのです。