大型連休も最終日を迎えましたね。
今日は家でのんびり過ごした方も多かったでしょう。
明日からの日々もいつもと変わらない平穏無事な日々である事を願っています。
昨日は旧暦1日。
令和になって初めての1日は今帰仁で過ごす事ができました。
用があって帰ったのですが何故だか昨日はノロ殿内に沢山の人々が訪れ、皆さんと話に夢中になっているうちにあっという間に時間は過ぎていました。
月に1回帰れるかなのですが、帰るたびに出会いがあります。
話させて頂く中で沢山の学びを得ました。
ご縁があって出会わせてもらったと実感しています。
昨日も不思議なご縁がありました。
バスを待っている間に琉願の木に来た方がいました。
琉球の歴史に興味があり県内中を歩き歴史を学んだそうで、以前にノロ殿内に行きたいと探した時は辿り着けなかったとの事。
バスを待っていて導かれる様に訪れた場所がノロ殿内だったので驚いたそうです。
庭に入り龍眼の木の下を歩いていると身体中がビリビリし、特別な木と感じたと話していました。
生い立ちから今まで体験したお話を聞かせて頂く中で、私達が辿り着いた見えない世界の真実が間違ってなかったと改めて確信しました。
話の中にはこれから先のアドバイスだと感じる事もあり、聞いていて驚きました。
ご本人は身の上話をしているだけなんですけどね。
私達にとってはこれから先の道にとても意味深いお話でした。
昨日は令和になって最初の旧暦1日だったので今帰仁に帰る前に家のヒヌカンより、1日の祈りとこれから先の事を話しました。
ヒヌカンに話した事の返事なのかと思う事が次々と会話の中から出てきて驚きましたが、昨日の出逢いは神々様が導いてくれたご縁だったのだと実感しました。
「神々様は人生の答えなど教えてくれないもの」だと話すと
「答えは教えてくれないけど、ヒントは与えてくれますよ」とおっしゃってました。
それは本当にそうだと思っています。
自分の足でしっかりと歩いている人は道に迷った時、自分で道を探そうと必死になります。
必死になっている時は常にアンテナが立っています。
どんな情報も逃さないアンテナです。
そのアンテナが神々様からのヒントをキャッチするのです。
探していた答えが思わぬキッカケで見つかった時「これに間違いない!」と自信を持った経験はありませんか。
自身で「これだ!」と確信しているので、その答えは揺るぎないものです。
それがその人にとって真の答えです。
思わぬキッカケは人の口を通してだったり、テレビから流れてきたり、本の一節だったり。
そのヒントを与えて下さっているのが神々様やご先祖様だと思っています。いろんな形でヒントになるキッカケを与えて下さるのです。
ヒントは神々様から皆に平等に与えられています。
自身で受け取れる様に届けています。
自分で受け取ってはじめて神様が与えて下さったヒントだと気づきます。
そのヒントが人生に生きてきます。
「時には手を差し伸べ、時には手を離す」とはそういう事ですね。
昨日の会話には沢山のヒントがありました。
それに気付いた時、間違ってなかったとホッとしましたし、やるべき事も見えてきました。
ヒントに気づくか、気づかないかで大きく変わるのです。
ヒントに気づく事で大いなる存在を身近に感じられそれが安堵に変わり、人生を前に前にと進む糧になります。
ヒントは思わぬ形で現れますよ。
それを掴むのは自分自身でなければ意味はありません。