4月5日から清明祭入りします。
清明祭には「シーミー祭」と「神ウシーミー」があります。
清明祭入りした最初の日曜日を「神ウシーミー」と言い、門中墓や祖先と繋がりのある古いお墓をお参りします。
後日、各家庭のご先祖様のお墓参りをします。
ノロ殿内では「神ウシーミー」でご先祖様のお墓以外にノロとして数カ所のお墓参りをします。
「ウツリタマヒ」から始まり、ノロ墓、門中墓、最後にご先祖様のお墓です。
ウツリタマヒとは今帰仁城下にある場所の事で、そこには「玉御墓」と呼ばれる歴代の今帰仁城当主のお墓がありました。
1761年にお墓の屋根が崩壊した為、運天に「大北墓」を建造し移葬しました。
現在のお墓跡地ですが木々が生い茂り入ることが出来ません。
入り口からお墓の跡地に向かい祈りを捧げます。
今帰仁城当主が今帰仁ノロに祈りを捧げて欲しいとお願いしていたそうです。
今でも今帰仁ノロとして清明祭にはウツリタマヒで祈りを捧げています。
運天にお墓は移されていますがウツリタマヒより運天に向けて祈りを捧げて欲しいとのお願いだったそうです。
運天まで足を運ばず元の場所から祈りを捧げて欲しいとの願い。
今帰仁ノロに負担をかけたくないという思いだったそうです。
祈りはどこからでも届くと知っていたから、住み慣れたウツリタマヒからの祈りを求めていたのかもしれません。
幼い頃は玉御墓まで行った覚えがあります。
山の中の小高い場所にあった気がします。
ウツリタマヒと言えばマツおばぁの武勇伝?が今泊誌に載っています。
以前にも紹介したのですがとても不思議なお話です。
『終戦後初めての清明祭に当たりご馳走を準備して親族一同でウツリタマヒのお墓参りに。
墓庭に足を入れた途端、珍しい物を見て皆んなは足を止めたそう。
見ると大きなハブが墓庭の真ん中であたかも人が立っている様に立ち、鎌首を上げて降っていた。家族はビックリして皆立ち止まった。
その時ノロのマツおばぁは騒ぐことなく静かに人に言い聞かす様に「今日は清明祭でお墓参りに来ました。」と両手を合わせて拝むとハブは静かに森の中に姿を消して行ったそう』
情景が浮かびます。
怖がりなおばぁからは想像もつきませんが。
ノロとして祭祀を務めるのだから危険な事が起こるはずはないと、マツおばぁは絶対的なものがあったのだと思います。
それは母も同じです。
御嶽は山の中が多いので蛇が出ないか心配になり以前母に
「山の中を歩くのに蛇が出て来ないか怖くないの?」と聞いた時
「ノロとして祭祀を務めるのだから危ない事は絶対にない」と話していました。
それはノロとしての強さであり、誇りでもあるのでしょうね。
清明祭が近づくとマツおばぁの武勇伝を思い出します。
蛇にもノロの祈りが届いたのですね。