御嶽の本来の姿とは

沖縄には数多くの御嶽があります。

御嶽は琉球國時代のノロの祭祀場であったことは知られていますが、実際の御嶽はいろんな顔を持っています。

 

 

 

1300年頃のとても古い時代。血縁関係で形成された集落で先祖神を祀っていたのが御嶽でした。

集落の草分け的な家の姉妹が中心となり祭祀を執り行っていました。

その後、按司の出現によりいくつかの集落が1つの大きな集落となり、草分け的な家筋が中心となり祭祀を行なっていました。

血縁関係の小さな集落から大きな集落へと発展し、家族単位の祈りから集落単位の祈りへと変わっていきました。

 

 

 

 

琉球王府により神女組織が確立した後は、任命された公儀ノロによって国家レベルの祭祀が各地で執り行われました。

集落単位の祭祀から国レベルの祭祀へと変わっていきました。

 

 

 

 

集落を見守る神様が祀られていた場所であった御嶽が、国レベルの祭祀を執り行う場所へと変わっていきますが。

御嶽が人々の心の拠り所である事に変わりはありませんでした。

 

 

ひとつの村にひとつの御嶽があったのは、御嶽の神様が村を守護していると信じていたから。

御嶽の神様は村人を守護し、村人は神様に寄り添い生きていたのです。

 

 

 

 

神仏様に無病息災を願い、航海安全で豊漁を願い、雨乞いをし五穀豊穣を願い。

人々は神仏様を頼りに生きてきました。

それは今でも変わることはなく、私達は神仏様を心の拠り所としています。

 

 

 

今でも数多く残る御嶽は神様が降臨する聖地であり、遠くの神様や聖地を遥拝する場所であり。

ノロの祭祀場であり、人々の拠り所として。

人々にとって、なくてはならない大切な場所です。

 

 

 

 

人間が神仏様の為に出来ることなど、何ひとつありません。

唯一、私達が神仏様に出来る事とは「ありがとう」の感謝だけです。

私達人間は、神仏様に与えられてばかりなのです。