当たり前が当たり前でなくなった時、人は動揺し心乱れ深い悲しみに沈みます。
当たり前がどれほどありがたい事なのか。。
首里城火災から1日が経ち、喪失感を感じています。
今年2月に復元が完成したばかり。復元に携わった方々の悲しみは計り知れません。
心にポッカリと穴が空いた様。
沖縄県民にとって首里城はとても大きな存在であり、心の拠り所だったのだと改めて気付かされました。
火災の原因はまだ分かりませんが、出火の原因は必ずあります。
今回の火災の件でいろんな意味付けや、いろんな理由を目にしました。
原因はあっても、そこに意味や理由があるのでしょうか。
当たり前が当たり前でなくなった時、人は何故こんな事が起きたのかと意味や理由を求めます。
意味付けや理由を探さないと、心を納得させる事が出来ないのでしょう。
悲しみを軽減させる為、自身を納得させる為に意味や理由を求めているのです。
復元が完成したばかりでの消失。
「何で?こんな事が起きたの」と誰でも考えたはず。
普段は意味付けや理由など考えた事がない人でも「何かあるの?」と思ったようです。
原因はあってもそこに意味や理由などありません。
例え、意味や理由があるとしてもそれを知っているのは神仏様のみ。
神仏様のみぞ知るです。
人間である私たちが知る由もありません。
知る必要もありません。
私達に出来ることは前を向く事です。
悲しんでいても何も始まりません。
自分に何が出来るのかを考え実行するのみです。
当たり前が当たり前でなくなる前に。
当たり前の日々に感謝です。