神仏様の望むこと

昨日の続きです。

 

人それぞれいろんな思いを抱え、拝所や御嶽に足を運んでいます。

神仏様と向き合うことで心が救われ、一歩前に進む勇気を得る。

神仏様は人々の心の拠り所です。

 

 

神事をする為に生まれてきた、沖縄でよく聞くお話です。

神事を学ぶ為に師匠について数々の御嶽や拝所を歩きまわるそうです。

大拝みの日のお二人もそうだったのかもしれません。

 

 

「待ってる方がいますので」の一言に気分を害したのは、神仏様から学んでいる最中に中断させられたから。

途中で声をかけられたのはお二人にとって大きな問題だったのかもしれません。

 

人それぞれに思いを抱えやるべき事があるのは十分理解している上で、見せられた事をずっと考えていました。

 

 

 

拝所や御嶽は人々の心の拠り所です。いろんな思いを抱えた人々が足を運んでいます。

有名な拝所や御嶽は連日沢山の人が訪れます。皆さん参拝する目的で来ています。

前に人がいた場合は静かに順番を待ち、神仏様に手を合わせると速やかに次の人に交代します。

誰に言われるでもなく皆さんそうしています。それが当たり前だと思っていました。

 

 

 

神仏様の元で神事をしていた為に時間がかかり、神事は中断出来ないから待っている方がいても譲ることは出来ない。

お二人にとって事情があった事は理解しています。

普段なら待つほどの参拝客がいないので声をかける必要もありません。それなのに何故、大拝みの日に見せられたのでしょうか。

 

 

神事よりも「人としてのマナー、人を思いやる心」を大切にして欲しい。

待っている人がいるなら快く譲り合う。

例え、神事の最中だったとしても待っている人を優先して欲しい。

人と人との間で生きている人間社会のルールを守らずして神事を優先する事は間違っていると、神仏様は伝えたかったのではと思いました。

 

 

 

参拝している方に譲って下さいとは言えないもの。諦めて帰った方々も声をかける事が出来なかったのでしょう。

参拝だけに限らず何事もお互いを思いやり、譲り合うのが人としての最低限のマナーです。

 

お二人にとって「待っている人がいます」と声をかけられたのは初めての事だったかもしれません。

中断させられて理不尽だとお怒りだったでしょうが、外で待っている間参拝の順番を待つという経験をしています。

人は自分で経験してはじめて相手の思いを理解できます。

 

 

 

私達はこの世を生きています。

この世を真っ当に生きてはじめて、神仏様の事を出来るのだと思います。

人間社会のルールを守りお互いを尊重する事、思いやること。

神事を優先するよりももっと大切な事があるのだと、神仏様は伝えたかったのかもしれません。