お盆も終わり学校が始まっている地域も多く、いつもの日常に戻っています。
夏休みが終わると急に町が静かになった気がしますね。
お盆に友人と話していると話題は仏壇の話に。
姉妹しかいないのでこの先仏壇をどうしようか悩んでいるとの事。受け継ぐ人がいないので親が元気な内に相談していると話していました。
最近同じ話をしたばかりだったのでビックリ。そんな話をする年になったんだなぁと。
同じ事で悩んでいる人は多いですね。
少子化時代になり男の子を生むとは限らず。お墓やお仏壇を受け継ぐ人がいない為に悩んでいるのです。
沖縄では長男がお仏壇を継ぐという風習があり、昔は男の子が生まれると自慢してまわったと聞きました。どの家庭も長男を望んでいた時代がありました。
時代は変わり長男でも家を出る人が多く、跡を継ぐ事が難しくなっています。
お仏壇やお墓をどうするか。それは今の時代いろんな方法があるので問題はありません。
時代に合った方法に変えたとして先祖が怒りはしないか。ウガンブスク(拝み不足)にはならないか。そんなことを心配しているのです。
拝み不足。
何をもって拝みが不足するのでしょうね。
どれだけ拝んだら十分なのでしょうか。
拝み不足と言っているのは人であって、あの世の人ではありません。
人間が作った言葉です。
友人には「拝み不足なんて絶対にない。不足したからといって先祖が怒るなんてあり得ない。自分があの世に帰った時に子孫に怒ったりするか。それを考えたら分かるよね。」と話し二人で納得でした。
お仏壇をこの先どうしようかと悩んでいる事自体、ご先祖様を思っているからです。その気持ちはご先祖様に十分伝わっています。
時代に合わせた守り方に変えたとしても、子孫が決めたことに怒る先祖はいません。
家族が望んだ事を先祖も望んでいると思います。
ご先祖様を思う気持ちが強いからこそ悩んでいる。祖先を思う気持ちはいつまでも変わらないのです。