2018.05.19
以前、書いていたブログ。
下書きに保存されていました。投稿してなかったのかな。改めて伝えて欲しいと出てきたと思うので投稿しますね。
ご縁した方よりメールが届きました。
「友人のお子さんが嫁ぎ先のご先祖様の怨念に苦しんでいます。ブログを読んでご先祖様の怨念はない事を知っていたので伝えてあげました。そしてノロ殿内を紹介し参拝する事を勧めました」
との事でした。
ご先祖様の祟りはない事を信じ、友人に伝えてくれた事とても嬉しかったです。
その友人の親子は話を聞いてすぐにノロ殿内に行こうと決め、向かったそうです。
ナビに入力し向かったそうですが、途中山道に案内されこれ以上案内出来ませんと表示が出て怖い思いをしたとの事。
何とかノロ殿内に辿り着いたのですが、不在で参拝出来なかったそうです。
「まだ時期じゃなかったのかな。場所を確認出来ただけでも良かった。また改めて来てって事だ」と受け取ったそうです。
ナビで迷いやっと辿りついたが参拝出来なかった。普通なら「行くなって事かな。参拝出来ないのは何でだろう」と不安になる人が多いと思います。
「まだ時期じゃなかったのかな。また来てねって事だ」とプラスに受け取ったことで不安になる事はなかったのです。
人は何かが思うようにいかないと、見えない世界に答えを求めたり、意味付けをしたくなります。
「何でこうなったのかな」
「何の意味があるのかな」
本当にその事に意味があるのか。視えない力が動いていてそうなったのか。
不安になると何かしら答えが欲しいのでしょうね。
全て答えは自分の心の中にあります。
「道に迷って行けなかった、それは悪い事かな」と考えるのも
「道に迷ったお陰で楽しめた。全て良い流れ!」
と考えるのも自分自身です。
視えない世界に答えはありません。もしあったとしてもその答えを聞くことは出来ません。
自身で感じた事が答えです。
人はマイナスに考えがちです。
自分で自分を苦しめているだけなのです。
道に迷わされ参拝出来なかった。
真実はそれだけ。
それ以上のことは何もないのです。
自分の中にしか答えはないのだから、自分にとってプラスの答えを出した方がいいです。
どんな答えを出しても良き道へと歩めるように、神様は導いてくれます。